The history of

KYOTO NHK ESS

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A PERSONAL HISTORY OF KYOTO NHK ESS BY HORI(1)


 

 京都NHK・ESSは、1962年にNHKラジオ英語会話のリスナーが中心になって、林和義氏(だったと思う)によって設立された由緒あるサークルです。当時ラジオ英語会話のインストラクターであった松本亨先生の提案で、テキストの後半部にESSコーナーというのがありました。松本氏は、このコーナーを通じてテキストを>利用して全国で幅広く英会話のサークルが広がることを願っていました。したがって数年後には全国でNHK・ESSという名称のサークルが多数できました。函館NHK・ESS、大阪NHK・ESSなど。京都NHK・ESSはこうしたサークルのひとつでした。

 よくうちのサークルはNHKがやっているサークルだと誤解されやすいから名称変更をしてはと言われます。実際その動きもあり、京都七条ESSなどという名前が浮かび上がったことも事実です。しかし、この名称はNHK側からの呼びかけでできた名称であり、またそうしてできたサークルでもあるのです。ただもちろん1960年代には私は参加しておりませんでしたから当時の詳しいことはわかりません。

 1970年代に入って松本先生は講師を退かれました。後任は早稲田大学の東後勝明先生でした。東後先生の発音はすばらしく、また解説も非常にわかりやすかったです。ただ松本先生は、自分の経験をもとに問題提起する内容のテキストを出されましたが東後先生にはその点はあまりありませんでした。松本先生の最後のテキストは、い「I remember」なるもので、自分の経験のみによるテキストでした。主人公は「私」でした。

 私は1974年10月にこのサークルに入りました。当時のessコーナーをみて(代表者が茨木市にいたことも関係して)入会しました。当時は会費250円だったでしょうか。15名ていどで、今とちがうところは本堂でやっていたということです。

 3部門に分かれていて、スキット、パーソナルコーナー、ディスカッションの3本柱。終わると七条の駅前のオランダという喫茶店に行ってました。学生は多かったです。とくに京都女子大、京都大学、立命館、京都外大などが多かったです。

 最初の合宿は11月末、妙心寺の通玄院なるところで行われました。今と決定的にちがうのは、要するに英語で生活するというものだったのです。ですから食事から寝言まで英語(原則)でした。内容は数日後に外国から京都にくる人たちへのフリーガイドの練習などでした。2日目の4時半が終わった時、世界が変わっという気分でした。爽快感がありました。ぜひこういう合宿もしてほしいと思います。

 このころに私はショッキングな経験をしました。10代の多感な学生であったのですが、京都駅への帰り、私はおばさんのコールガールに声をかけられました。七条大橋と河原町の間でです。当時の七条通りは暗かったのです。非常に怖かったです。最初は道を尋ねられていると思っていましただけに。しばらく七条通りを一人で歩くのが恐ろしかったです。

 12月にはリーダー改選があります。次の年は高木さんという比較的英語を使って楽しもう・友達を作ろうというポリシーの方でした。花見やイベントもよくありました。なんせ半年先までのスケジュールまで決まっていたのですから。いろいろ友達ができました。しかし、そのポリシーに反対の人もいました。吉田さんという人でした。essは親睦会ではない、だからここへ来たら英語が上達してほしい。次年度その方がリーダーになりプログラムも大きく変わりました。ラジオの時事英語をその場で聞き、ディスカッションをしました。難しかったです。ロッキード事件も新聞より早く知りました。けれども賑やかだった若い女の子はだんだん減ってきました。サークルはどちらの道を進むべきか。英語か親睦か。根元的なジレンマに直面しました。
以後、次号にて)

 

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