The history of

KYOTO NHK ESS

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A PERSONAL HISTORY OF KYOTO NHK ESS BY HORI(4)


 

  リーダーの任期を終えて私は一大学院生に戻りました。1981年、どこからか文集をつくろうという声が湧いてきました。と言いますのは1982年は創立20周年だからです。当時リーダーをしていた矢沢徳夫さんは共鳴しました。彼の人徳もあってか当時はまた多くのメンバーが集まっていました。英語と親睦とのバランスのとれたリーダーだったと思います。

 ダイレクト印刷を経験された方だとおわかりかと思いますが、当時はワープロなるものはありませんでした。すべてタイプライターで打ち直ししました。当然スペースの空け忘れはやり直しです。原稿依頼、英語の文のチェック、印刷屋との交渉など。DUNEの完成。 DUNEとは砂丘です。汲んでも汲んでも指の間からこぼれていく砂。このサークルのメンバーがそうです。過去に何組かサークル内で結婚したカップルがありました。しかし、その後もずっと続けてサークルに参加し続けたカップルはありません。おめーら不純な動機でサークル来ていたのかと思ってしまいます。

 この砂丘をつくったのはどこか。NHKだ。抗議の意味も若干こめてNHKにも送りました。がんばってくださいという単純な返事はありましたが、もうなぜNHK・ESSと名乗るのか知っている人はNHK内部にもいなくなったようでした。

 English Journalなどで多くの英会話サークルを見かけます。でもNHK・ESSと名乗るサークルはどこにもありません。壊滅状態です。最後の生き残りが私たちなのです。

 DUNEには2つの他のサークルからの寄稿が入っています。あひるの会(大阪)とKyoto English Greeneryからの寄稿です。両方のサークルは共通の運命をたどっています。いわゆる公共の場(勤労会館、青少年会館(だったと思う))を使ったサークルでした。当時はどちらも盛り上がっていましたし、うちからそちらへ衣替えしたメンバーもいました。合宿や忘年会にも呼ばれました。しかし、公共の場とはみんなの場であります。ある特定のサークルのために毎週特定の時間部屋を貸すことには抵抗が示されます。リーダーも変わります。こうしてしだいに場所を変えさせられたり、メンバーが減っていったりでサークルは結果として解散もしくはそれに近い状態になっていきます。友好状態のあったサークルの多くは残念ながら雲散霧消していきました。

 ではなぜうちのサークルが現在のところ生き残っているのか。原因は野間さんにあります。そう養泉寺の住職さんです。このご好意のおかげです。ポリシー上の理由などからNHK・ESSを離れ、新しい英語サークルをつくった人もいました。しかし>結果は同じ轍をふむことになっていきました。毎週土曜日の夜にお寺の一室を貸して>くれる、ただそれだけのことがとても重いことなのです。

 あとリーダーを毎年変えていることも重要です。カリスマ的なリーダーのいるところはつぶれるのも早いです。一世を風靡した松本道弘さんが率いていた英語道場は今はどうなったのでしょうか。

 一方で私には思うことがありました。DUNEをつくることがここでの最後の仕事になるかも、ということを。
 

 

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